高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印


文人閑居して文字に遊ぶ
最終回
綿貫明恆(雑学者)
川星巌、藤井竹外とともに芳野三絶の作者の一に數へられる河野鐵兜に掫觚といふ随筆がある。その中の一條に
 木火土金水、東西南北等ノ字、皆本體ノ字ナルベシ、故ニ左右向背ナシ。ナホ向背左右ナキ文字ハ、青黄赤白黒ヨリシテ、山川草木魚蟲本末天雲大中小口鼻目。
 ○不二山 富士山 芙蓉峰 皆向背ナシ、山の眞形ナリ。
といふ。鐵兜式に言ふならば、本體の字で表記される者はみな眞正を得たる者となる。となると、我が「日本」は上に國民統合の象徴として「天皇」を戴き、その首都を「東京」と稱し、國土を象徴する者が「富士山」である。これにて我が日の本の國が萬邦無比の世界に冠たる本體の國たること言ふまでもなく明らかであり、支那や朝鮮が逆立ちしたって及ぶ者ではない。
る時中國の多少本を讀んでゐる者數人と會飲したことがあった。その中の一人が片言の日本語でしきりに富士山の秀容をほめる。そこで、有士君子徳富潤身之容、故曰富士、天下獨一無二、故曰不二。歴劫不磨、故曰不盡、富士異稱如此、邦音均讀為fuji と書いて見せたら、エーッ、ホントウ? とぬかして、その紙を仲間内に回して見せ、みなわかったやうな、わからないやうな顔をしてゐた。話をもとにもどして、鐵兜は楷書の字形について本體云々と言ったのであるが、篆書について見れば、さらにそれがはっきりとする。だから鐵兜の擧げた字の中、水、西、川、魚、蟲、雲などは篆書では左右對稱にならないが、これは篆書と楷書との書體の差異によるものであるから、それはそれでよいとしておかう。
   
那には昔から酒席における一種のゲームとして酒令といふ者があり、その中に文字を利用した遊戯がある。いろいろなやり方があるが、いづれもかなり高度な頭の働きを必要とし、我等の仲間にはとてもできないだらう。そこで仕方がないからこの「本體」の字を利用して遊んでみやう。まあこの程度ならなんとかできるだらうし、こんなことからだんだんとおツムの働かせ方を訓練してゆくがよい。たとへば本體の字のみから成る人名を擧げよ。姓名ならば、田文、曹喜、曹丕、米、文同、唐庚、唐寅。姓號ならば、白楽天、王半山、米南宮、黄山谷、曽茶山、文文山、我が邦人であれば、大田覃、山本五十六、高芙蓉、岡田寒泉など。そんなわけで、もし姓が本體の字であったならば、名、字、號も本體の字にしてみるのもおもしろからう。特に室號の場合は、室、齋、堂、臺、亭、、闇、舎また草堂などはみな本體であるから、それぞれの上に向榮、幽閑、自樂、去來などのそれらしき者を冠せればよい。舊國名には甲斐、日向、都道府縣には、東京、青森、岡山など、都市には室蘭、天童、東金、日立、串本など、東京のJRの驛名を一わたり見ただけでも、四谷、目黒、大森、平井など、三字ならば日暮里、春日井、四日市、四字ならば富士吉田等があり、市川市となると、上から讀んでも山本山、下から讀んでも山本山の類になる。山本山も市川市も本體の字であり、この類には文言文、筒井筒がある。筒井筒は假名で書いても「つつゐつつ」と回文になるといふ良くできた語である。
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