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さて謝石は嶺表への流竄がきまり押送の卒(護送役の下級の役人)に伴われて途に就いた。その中途で、一人の山に依って立ち、「相字」と看板を出している者に出あった。石は心の中に、自分以外にもこの相字の術を善くする者があろうかと思いはかり、試みに己が姓の謝の字を書いて相せしめた。術者は笑って「お前さんも御同業じゃな」という。石が「どうしておわかりになられた」と問うと、術者は「なに、寸言の中に身を立てておるじゃろうが」と答える。石がまた己が名の石の字を書いてみせると、「まことによくないきざしが見えるのう。石が卒に逢えば碎となる。お前さんと同行している者は卒(押送の卒を指す)じゃろう。ところで、その卒の姓は何というのじゃ」と。卒が答えて「それがしの姓は皮でござる」と。術者はいかにもいたましげなようすで石にむかって「石が皮に逢えば破となる。碎であり破であるから、お前さんは無事に返ることはできまい」という。石は「それが數定(さだめ)であるならば、とても逃れることはできますまい。さりながら、あなたも此の藝を専らにされるようじや。試しに字を書いて下されよ。あなたがいかなるお人か占って見ようほどに」というと、術者は「わしがここにいる。それがそのまま字になっておるゆえに、わざわざ書くまでもあるまい」という。石はハッと氣づいて「人が山の傍に立っていれば仙の字。もしやあなた様は仙人ではございませぬか」と。術者は笑って答えなかったが、ふと眼をそらした間に掻き消すが如くにその姿が見えなくなったという。そして謝石はその占いのとおり、ついに返るを得ず、配所にて死んだという。 |
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この話、後に少し尾鰭がつき、件の術者は呂洞賓であったということになった。つまり、「人が山に依りて立つ」が「仙」であるが、その前に、字を書かずに互いに言を以て相對している。それは口と口とで言い合っているから、口を二つ重ねて「呂」字になる。それ故に術者の姓は呂、呂姓の仙人ならば呂洞賓ということになったのである。呂洞賓、名は巖、唐の人、仙人の鍾離權に學んで道を得て、後世仙人の元締のように祀り上げられた。この人、時空を超越して、いついかなる處にも自由自在に出没するらしい。今の時代にもシナ人の社會には時々姿を現わすことがあるようだ。ついでにちょっと言っておくと、「呂」の字は、活字は中間に小さい左拂いがつくが、隷書、楷書の正體は口を二つ重ねた形に作り、中間の小さい左拂いはつけない。 |
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