高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印


文人閑居して文字に遊ぶ
第9回
綿貫明恆(雑学者)
代は文字占いが最も盛んになり、しかもその理論化も行われた時期であった。この時期には文字占いは「相字」と呼ばれ、その名手も輩出し、上は國家の大事より、下は民間の細事に及ぶまで、この相字によって決せられることが少なくなかった。
代の相字の名手として謝石があり、後代まで第一人者として稱せられている。謝石、字は潤夫、四川成都の人。占いを求める人に意のままに一つの字を寫(か)かせ、その字を分解離合して禍福を占い、ふしぎなほどうまくあたったという。
宗の時に石は國都の京にやってきて、公卿のために相字し、それがしばしば奇中したので、その名は公卿の間に鳴りひびいた。徽宗もその噂を聞き、一つ試してみようというので、自ら筆を執り「朝」字を寫いておそばの者に持たせて相せしめた。石はこの字を見るなり、これはあなた様の書かれた字ではございますまい。これは十月十日(朝字を拆開すると十月十日になる)にお生まれあそばされた天子様でございましょう、とすると……と言ったので、聞いた者は皆びっくりした。使いの者は歸ってその通り報告したので、徽宗は特に謝石を後苑に召し寄せ、おそばの臣僚や妃嬪等の字を相せしめ、みな験が有ったので、徽宗の寵信を得て、承信郎に叙せられるに至った。徽宗もまたある時戯れに謝石に對し、「朕もまた相字を善くするぞよ。汝の姓は謝であるからして、身は討論の中に在ると言うものじゃ。汝の名は石であるから、生涯右選であって、出頭することはできない」とのたまわれたので、皆々大笑いした。
廷のある大臣の妻君が懐妊し、期を過ぎても生まれないので、その妻君が「也」字を寫いて夫にもたせ謝石に相せしめた。謝石が大臣に言うには、「これは閣下の奥方が寫いたのでしょう」と。「そうじゃ、なぜわかった」。「也は語助の字でございます故、内助の人の書かれたものと察しました。尊夫人は今年三十一歳ではございませんか。也の字は上が三十、下が一になります故に」。大臣は一々うなづき、「私は今京官であるが、地方官に遷りたいと想っている。うまくいくだろうか」。「考えてみますに、也に水を加えると池、馬が有れば馳となりますが、今は池運するに水無く、陸馳せんとしても馬がありませぬ故に、遷動することはなりますまい。さらに尊夫人は、親兄 弟はもとより、身近の親戚も、殘っている方は一人もございますまい。也に人に加えると他になりますが、今はただ也だけで人を見ませんので。尊夫人の財産もまたすっかり底を盡いておりましょう。也に土を加えれば地になりますが、今はただ也だけで土を見ませんから」。「まことに先生の言われる通りであるが、それらはみな私が今日占ってもらいたいことではない。實は家内が懐妊して期を過ぎても出産しないのはいかなるわけか、それを知りたいのじゃ」。「尊夫人が懐妊して十三カ月になりましょう。也の字は中央に十があり、兩旁の豎畫と下の一畫とを合わせて十三となりますから」、と言い、大臣の顔を見て、「ちと奇怪な事でございますので、言うまいと想ったのですが、閣下のお尋ねになりたいことはこの事でございましょうから、はっきりと申し上げて宜しうございましょうか」。「遠慮なく言ってくれ」。「也に虫を加えると(蛇)。尊夫人の懐妊されたのは蛇妖の類でございましょう。とは言えまだ虫を見ないので害を爲すまでには至りません。私にちょっとした手立があり、薬を用いるのですが、試してみてはいかが」。大臣はこれを聞き、そんなバカなとは想ったが、謝石を家に請じて夫人に薬を服させたところ、果たして数百匹の小蛇を生み落した。これが京師(みやこ)中で大評判になり、人々は謝石がどのような術を用いたものか見當もつかず、まるで神仙でもあるかのように持囃したという。(なんてことはないさ。寄生蟲と見當をつけて、蟲下しを飲ませたまでのことだろう。占い師はただ占っているだけでよいというものではない。このような時のために、醫術に多少の心得があり、藥なども少しは用意しておくことも商賣繁盛のコツの一つである)
康の變に徽宗・欽宗が金軍に拉致せられ、宋は南渡して南宋となる。謝石もまた南に渡った。ある時高宗が微服(おしのび)で出かけて謝石を見かけ、杖で地上に一の字を寫き測字させた。謝石はびっくりして、もう一度別の字をというと、高宗はまた杖で問の字を寫いたが、地面が凸凹していたので、問字の豎畫が左右に開いてしまった。謝石がいうよう、前の字は土上に一で王字、しかも人が地上に一を寫いたので地上一人、後の間の字は右から見ても左から見ても君の字、これは皇上に相違ございませぬと申上げた。翌日、高宗は謝石を便殿に召し、春の字を寫いて相せしめた。謝石が「秦頭太だ重く、日を壓して光無し」と申上げると、高宗はうなだれたまま聲もなかった。當時秦檜が専權していたことをいう。春字の頭は秦字の頭と同じ形、日は皇帝を指す。秦檜におさえられて皇帝には何の力もないことを言ったのである。これを聞いた秦檜は大いに怒り、他の事にかこつけて、謝石を嶺南に流罪にすることにした。果たして謝石、無事に歸ることができますかどうか、それはまた次回に。

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