高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印


文人閑居して文字に遊ぶ
第2回
綿貫明恆(雑学者)
 緯の学は西漢の成帝の頃よりおこり、董仲舒等の儒家が、天命の説と陰陽五行の説とを結びつけでっちあげた。わざともってまわった語句で預言して、人々に吉凶禍福を示さんとした者で、西漢末から東漢初にかけてことに盛行した。その中にはしばしば文字の離合を用いることがあった。劉秀が「劉秀兵を發して不道を捕へ、卯金徳を修めて天子と為らん」の讖文を利用して帝位につき、後漢の光武帝となった。卯金とは卯金刀の略で、この三字を合すると「劉」になるというのだが、實は劉字は説文所無であり、その本字は「」であるという。そのの旁の留は、實は卯ではなく酉の古文のなのであるが、は隷變により、譌して卯となってしまった。柳字の場合も同様である。これによって卯金刀は隷書の字形を拆した者であることが知られる。
 の王は帝位についた後、劉氏(漢室の姓である)を忌みにくみ、錢の字の中に「金刀」(つまり劉)の意味があるので、錢を改めて「貨泉」と稱したが、何ぞ圖らん、この二字離合して「白水眞人」とした者があった。白水は後に後漢の光武帝となる劉秀の居住していた地の名であり、漢室の中興を預言する者となったのである。
 緯字また相字とよばれる所謂る文字占いが盛んに行われるのはずっと後のことであるが、そのはじまりは占夢(夢占い)の方法の中の一つから出た者であることは疑いない。つまり夢に見た事物や現象を文字に置き換え、その文字を分解合成して然るべく解釋推測するのである。古いところでは、劉邦が初めて亭長となった時に、一頭の羊を追いかけ、追いついた時にその羊の角と尾とを抜いてしまった夢を見た。占卜者がいうには、「羊に角と尾とがなければ王の字になります。あなたさまはいづれは王になられるでしょう」といった。やがて劉邦は秦末の動亂に乘じて漢王となり、ついには帝位に登ったのである。

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