高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
文字のいずまい
vol.15
顔真卿流に永久の命あれ!
臼田捷治(デザインジャーナリスト)
 めて台湾に行き、台北市を回ってきた。4泊の短い旅だった。
 の漢字文化圏への旅はまことに限られている。韓国だけは、済州島(書道史上の抜きん出た巨人・金秋史晩年の配流先で寓居跡が残る)まではるばる出向いたというように、自慢できる程度には何度か足を運んでいる。だが中国となると、編入前の香港が1987年、前年の天安門事件の衝撃がもたらした残像も生々しく、日本人観光客が極端に少なかった北京を駆け足で巡ったのが90年と、つごう2回きり。今度の台湾行きも初旅というわけであった。
 熱ぶりが伝えられている上海を筆頭とする中国ではなく、台北をあえて旅先に選んだのは、台湾が大陸のように簡体字を採用せず、孤塁を守るかのように、今なお繁体字を固守していることと、もうひとつは、韓国のように被占領時代に日本によって建てられた建造物を破棄するようなことをせず、貴重な歴史遺産として残す姿勢を守っていることに興味を引かれたからだった。もちろん、故宮博物院を見てみたいという思いも強く作用した。
 の故宮は本年度中に終了する予定の大規模な改修工事中で、一部の既存施設を使っての展示であったため、ちょうどダイジェスト版を見ているような感じ。短時間に効率よく見終えたが、物足りなさが残ったのは事実だった。

中山堂の入口に掲げられた扁額


台北市政府環境保護局の車に書かれた
顔流ステンシル文字
 の遺産でありながら、歴史は歴史としてきちんと伝えようとしている台湾。日本による台湾統治(1895〜1945年)を、私は正当化するつもりはまったくないが、台湾の人々の歴史への対峙のあり方に、頭を垂れたい思いを強くする。実際、台北市内にも日本統治時代の建物が幾つも残っていた。私が訪れた主だった建物を紹介してみよう。
 色のレンガが鮮やかに映え、みごとな存在感を示している「総統府」(旧台湾総督府、1919年)は、ルネッサンス様式の瀟洒な建物。日本人建築家、長野宇平治による設計である。その南に接する「司法大廈」(旧台北地方法院、1934年)も規模が大きい建物で井出薫の設計。20世紀前半に世界的な流行を見たアール・デコの影響をしのばせる「中山堂」(旧台北公会堂、1936年)は、堂々たる外観で、同じく井出の設計である。建物内の2階にあるカフェで休憩したが、内部空間も重厚そのものだった。
 じアール・デコ様式では「土地銀行」(旧三井物産、建築年不詳)が典型的なものとして知られ、道路(襄陽路)を挟んで「国立台湾博物館」(旧台湾総督府博物館、1915年)と向き合っている。
 術にかかわる空間として再生されたのが「市長官邸藝文沙龍」と「台北当代芸術館」。前者は市中心部とは思えない緑豊かな環境にあり、市長公邸だった木造家屋を現在、文芸サロンとして一般に開放している。後者は繁華街の南京西路に近く、戦前は日本人子弟が通う小学校、戦後は市役所として使われていた古跡指定の建物を、現在はその名称のとおり、最先端の現代美術の展示スペースとして再利用している。
  の南部、国立台湾大学に近い茶芸館「紫藤廬」も心に残った。しっとりとした純日本家屋風。静かにくつろげる雰囲気の中で有名な阿里山高山茶を堪能した。
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