高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印


文人閑居して文字に遊ぶ
第11回
綿貫明恆(雑学者)
字学というと、ふつうはみな字源学のことだと思っているようだが、實はそうではない。字源の学は文字学の一部であり、決してそのすべてではないのである。ちと憎まれ口を利くならば、字源の学というのは、古文字のどの形を何に見立てるかによって成立つ。つまり、それを何に見立てるかという、いわば思いつきのうまいまずいによって勝負がきまってしまうようなところがある。というと、いくらなんでもそれは言過ぎだといわれるだろうが、それではこの例はどうだ。胡樸安が若い時に説文に凝り、種々の奇説を思いついたことを、その著「中国文字學史」の自序に述べている。それによると、
の尤も怪異にして荒謬なる者は、也の篆はに作る、女陰なり、象形と、厶の篆はに作る、當に男陽と云ふべきなり、象形と、地は土に从ふなり、地は土と爲し、也は陰と爲す、故に土に从ひ、也に从ふ、會意、天は當にに作るべし、气に从ひ、厶に从ふ、 は气と爲す、厶は陽と爲す、故に气に从ひ、厶に从ふ、會意、は當に是れ男の字なるべし、は兩股と爲し、兩股張開して厶見(あらわ)るるなり、婦は當にに作るべし、女に从ひ、也に从ひ、帚に从はざるなり。男は當に是れ農の字なるべし、力田を農と爲す。農はに从ひ、の聲なれば、意は明瞭ならざるなり。婦は當にに作るべし、即ち是れ工の字なり、男は耕し女は織る、即ち工の字なり、帚の篆はに作り、布の篆はに作り、形近くして誤まれり、此くの如くの怪異荒誕の説甚だ多く、改むる所の説文の形と義と、幾(ほと)んど十の二三に及び、自らは其の怪異荒謬を知らず、以て古人の造字は我に如かずと爲すなり。坡は土の皮、滑は水の骨、東は即ち棟の字、は太極圖と爲し、甲骨文の字は、男子生殖器と爲すの説と視(くら)ぶるに、更に怪異と爲し、更に荒謬と爲す云々。
言っているのをみれば十分だろう。というわけで私は字源の学には首をつっこまないことにした。
次のページへ

 

© Copyright Geijutsu Shinbunsha.All rights reserved.