高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印


文人閑居して文字に遊ぶ
第6回
綿貫明恆(雑学者)
 のシナの行人(他國に使者として派遣される人。今の外交官のやうな者)は、四方に使して君命を辱めざることがその任であるから、尤も口辯の才が求められる。その口辯の才とはいかにといふと、先づ脅す、そして賺す、ハツタリをかませる、インネンをつける、大ボラを吹く、嘘八百を並べる、揚げ足をとる、逆ネジを喰はす、はぐらかす、空つとぼける、冗談を言つてごまかす、己のことは棚に上げる、こぢつける、ひやかす、からかふなど、悪いことは何でもあり、ひたすらに言ひ募り相手を黙らせれば勝といふことであり、これは昔も今も變はりはない。といふわけで、史上の例を一つ擧げておかう。

 國蜀の張奉が呉に使した時のこと。呉志綜傳に「西使張奉、權の前に於て、尚書澤が姓名を列し、以て澤を嘲せしに、澤答ふる能はざりければ、綜下りて酒を行ひ、因りて酒を勸めて曰く、蜀とは何ぞや、犬有れば獨と爲り、犬無ければ蜀と爲る。目を横ざまにし身を勾げ、虫は腹中に入ると。奉曰く、當に復た君が呉を列すべきやと。綜聲に應じて曰く、口無ければ天と爲し、口有れば呉と爲す。君萬邦に臨み、天子の都なりと」といふ。この張奉は行人として失格である。かういふことを言はれたら、直ちに逆ネジを喰はせねばならぬのに、事もあらうに、君の呉はどふかね、などと問ひ返すとは沙汰の限りである。かくいふからには問ひ返されたらかう言つてやらうと豫め用意を整へているにちがひないのである。應聲曰とは、待つてましたとばかりに、といふことである。澤の姓名を列して以て嘲したほどの張奉が、これはまたどふしたことか。つまりシナ人の對論のやり方は一方的にきめつける者であり、相手の言葉なんぞ聞く耳を持つたら負けになるといふことなのである。これではまるで蜀はマトモ人間の住んでいる地ではなく、呉は逆にこの世の最高の地といふことになつてしまふからである。ここで張奉は是が非でも一言有るべきだつた。

 更手遅れではあるが、ちよつと張奉に代はつてやつてみやう。「口天爲呉、有言爲誤。上下倒、終見併呑」といふのはどふだらうか。呉字は隷楷では口天に作られる例は多い。だから口天で呉となり、言偏がつけば誤となり、國歩を誤まる。さすれば上下が引つくり返つて(口天が逆になると天口で呑)、結局は他國に併呑されることにならふといふのである。これしきのことは言つてもかまはない。賣言葉に買言葉だもの。かくしてこそ、呉の難癖に對して、蜀は面子を失はずにすむのである。この呼吸を知らないと、シナ人とタメを張ることはできないだらう。
 
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