|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
劉の文心雕龍の諧第十五に、(これから毎回いきなり難しそうなことを出しておどかすとしようかな)「とは隱なり、遯辭以て意を隱し、譎譬以て事を指すなり」といい、還(せん)無社の麥麹井、申叔儀の庚癸また伍擧の大鳥、齊客の海魚、荘姫の龍尾、臧文仲の羊裘等を擧げて、その効用を説いているが、これらは暗號か合言葉、もしくは事情をよく知っている者の間でしか通じない者であるから、まだふつうのなぞなぞとしてあつかうわけにはゆかない。
隱語とは「かくしことば」であり、詞(かくしことば)とも呼ばれ、謎のことである。謎は説文解字の言部の新坿に、謎、隱語なりとある。遯辭とはすぐそれとはわからぬような言いまわし、譎譬とはごまかすようなたとえ。漢書藝文志に、隱書十八篇があったといい、顔師古の注に、劉向が別録に云ふ、隱書とは、其の言を疑はしめ、以て相問對する者なるも、慮を以て之を思えば、以て諭(さと)らざる無かるべし、という。文心雕龍はさらに、昔し楚荘、齊威、性隱語を好む。東方曼に至りて、尤も辭述に巧みなるも、但だ謬辭詆戲、規補に益無し、という。楚の荘王、齊の威王は生まれつき隱語が好きであった。當時の隱語は多く俳優によって君主を規諫するために演じられた者で、その例は史記の滑稽列傳に見られ、淳于(じゃんうこん)、優孟などの名がよく知られている。ところが東方朔になると、いいかげんなことを言ってふざけているだけで、人をいさめ正すにはちっとも役に立たない、という。さらにまた「魏代より以来、頗る俳優を非とし、而して君子は隱化して謎語と為す、謎なる者は、其の語を迴互して、昏迷せしむるなり、或は文字を體目し、或は品物を圖象す」と、だんだん俳優の役割が低下し、謎がこれに取って代わるようになり、その中に文字を題材とした者が現われてくるのである。そして、「夫れ古の隱たるを觀るに、理は要務に周し。豈に童稚の戲謔と為し、髀を搏ちて抃笑せんや」と、時世の要務に裨益有らんことを説くが、あたしゃ今これを童稚の戲謔、抃笑の料に供せんとする者である。世の中バカが多くてクタビレルけれども、マジメな人が多いのもまたクタビレルよなぁ。だから、あたしゃいつもマジメ半分なんだ。 |
|
|