場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか

〈あとがき〉
前田速夫


 定年退職で文芸編集の現場を離れたとき、私は在野の一民俗学徒に転身したこともあって、もう文学からは足を洗ったと広言して回りました。たまに文庫の解説や作家の追悼文の依頼あっても丁重にお断りしたし、文壇のパーティや偲ぶ会にも出席しませんでした。十年経って、その禁を自分から破ったのは、「はじめに」に書いた通りですが、こうして改めて近現代の主だった作品を読み返してみると、日本の小説もなかなかのもので、ひょっとして世界レベルの水準にあるのではないかとの思いを強くしました。やはり、それだけの厚みがあったのです。
 小川洋子に『密やかな結晶』(講談社文庫)という島を舞台にした長編小説があります。島自体が孤立したトポスですが、島の住民は全員、順番に記憶を失っていき、そうでない人は秘密警察によって記憶狩りが行われる。そして、最後はそれを書いている小説家本人も記憶を失っていくところを静かに見つめた、哀しくも恐ろしい作品です。
 私たちに、消滅していくことへの願望がないとは言いません。嫌なことばかりの世の中です。いっそ、記憶を喪失してしまった方が楽なのかもしれません。しかし、私は一億総空無化、総記憶喪失の時代のいまだからこそ、読書を通じて場所が保存し記憶してくれたことを思い出さなくてはと、考えました。
 思い出そうとしなければ、記憶は消えてゆきます。一度消えてしまえば、もう二度と戻らないでしょう。けれど、それを形にして繋ぎとめてくれるのが、言葉であり、文学です。記憶を各人の脳にだけに留めておくのではなくて、また場所や家やものに留めておくだけではなくて、言葉や文学に留める。そうすれば、一代限りでなく、次の世代、更に次の世代へと受け渡されてゆきます。
 作品鑑賞の一助になるように、本書では主にトポロジーの観点からの考察を中心に据えましたが、場所と並んでもう一つ重要な要素は時間です。場所はたいてい時間と一体化していますし、夢や幻想といった非現実の空間もあれば、移動するトポスもあります。多和田葉子やリービ英雄の作品を取り上げて、積極的に評価したのもそれで、今後はむしろそちらが主流になっていくでしょう。
 ともあれ、本篇での私のねらいは、作品が提示する場所に着目することによって、未経験のことをも、自分のこととして経験し、そうして経験したことの記憶を取り戻して、現在陥っている思考停止の状態から脱出し、私たちの来し方行く末を考えるきっかけにしてもらえればということでしたので、いくぶんでもそのお役に立てたなら幸いです。
 本「アートアクセス」での連載が、無事最終回を迎えられたのは、芸術新聞社社長相澤正夫さんと担当の濤川美紀さんのおかげで、相澤さんからは、このあと本篇の続編となる『この世の時間とあの世の空間 私たちが生きること死ぬこと』というテーマも与えられているので、ここでほっとしていられません。ご期待に背かぬことがないよう全力で取り組みますので、引き続きご愛読を願って、以上「あとがき」といたします。
 と、ここまで書いたところで、何ということでしょう。相澤社長急死(三月三日)の報に接しました。肺の様子がおかしくて入院したけれど、もう退院して、少しずつだが、体力が戻ってきている、近々本づくりに向けてご相談しましょうと電話をくれたのがつい先月で、言葉もありません。
 相澤さんは、書道専門誌「墨」や美術年鑑誌『美術名典』を定期刊行し、専門の画集や作品集を手掛ける一方で、近年は草森紳一『李賀 垂翅の客』、平山周吉『戦争画リターンズ』『満州国グランドホテル』、石川九楊『悪筆論』など、一般読者向けの名著も開拓、出版人としてまことに得難い人でした。心からご冥福をお祈り申し上げます。                             
三月五日 前田速夫


著者略歴
前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間(トポス)を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。