場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか

〈第十六章 迷路〉3
 笙野頼子『居場所もなかった』『タイムスリップ・コンビ
 ナート』/多和田葉子『かかとを失くして』『ゴットハル
 ト鉄道』
前田速夫


  歪む時間と空間 

 前に、第八章の「無意識下の領域」で言及した『レストレス・ドリーム』の作者笙野頼子は、作家デビューしてから、『なにもしていない』で野間文芸新人賞を、『二百回忌』で三島賞を、『タイムスリップ・コンビナート』で芥川賞を受賞するまで、十年近い不遇の期間がありました。この間、オート・ロックのワンルーム・マンションに籠ってボツが続く小説を書き続けますが、それは世間や家族、親戚から見れば、定職がなく、結婚するでもない、どうしようもない存在で、「なにもしていない」と非難されるのに耐えるほかありませんでした。
 『居場所もなかった』(講談社文庫)は、このマンションを出なければならなくなって、不動産屋を転々として、部屋探しをするところが、詳細に語られます。当然のことながら、不動産屋や物件の持ち主は、借り手の支払い能力の有無や、物件に相応しい人物であるかどうか、職業、収入、年齢、性別、家族構成といったプライバシー、果ては性格や人間性までも、不躾に審査します。

  《部屋探しにもっとも難儀するタイプ。どこにも住むべき根拠が
 なく、どの地域にも属していない未来のないひと、三十代独身のう
 さんくさい自営業者、しかも借りた部屋で一日中仕事をする。
  ――すいませんここ学生限定です。
  ――一流企業女性管理職のみ四十歳までです。
  ――自営業者の方、難しいですよー
  …………。どこにも住みたくない。いや、どこも住みたくない。
 どこにも、の、に、を発音する余裕もないくらいに、まったく、ど
 こにも住みたくなかった。どこかに消えてしまいたいと思ってい
 た。どこに行っても自分の居場所がなかった。》

 けれども、この作者の強みは、『燃えつきた地図』とは逆に、オセロゲームの黒を白に反転させるように、この圧迫を跳ね返し、むしろそれを梃にして、独自の観念世界を構築していくところにあります。『タイムスリップ・コンビナート』(文春文庫)は、その分かりやすい例です。

  《去年の夏頃の話である。マグロと恋愛する夢を見て悩んでいた
 ある日、当のマグロともスーパージェッターとも判らんやつから、
 いきなり、電話が掛かって来て、ともかくどこかへ出掛けろとしつ
 こく言い、結局海芝浦という駅に行かされる羽目になった。――そ
 こはJR鶴見線の終着駅で長いホームの一方が海に面している。も
 う一方に出口は一応あるものの、それは東芝の工場の通用口を兼ね
 たもので、社員以外の人間は立ち入り禁止である。つまり、一方が
 海で一方は東芝、外へ出ようとしたら方法はふたつ、海へ飛び込む
 か、東芝の受付で社員証を見せるか――というわけでその駅のホー
 ムに魚でもなく海蛇でもなく東芝の社員でもない人間が降り立った
 としたら、折り返しの電車が出るまでただホームに立ち尽くしてい
 る事しか出来ないのだった。》

 作中の〈わたし〉は、部屋を出ると電車に乗って目的地を目指します。都立家政(西武新宿線)→高田馬場(山手線)→代々木(同)→新宿(中央線)→東京(京浜東北線)→鶴見(JR鶴見線)→武蔵白石(同)→大川(同)→浅野(同、乗換)→海芝浦。途中、何の理由もなく武蔵白石という駅で下車します。

  《無人駅のホームの壁には広告の看板を剥がした跡があるだけ。
 券をお入れ下さい、という表示の箱に切符を落とすと、底に当たる
 音。
  ……自動販売機が並んでいる。私の田舎の無人駅には、こんなに
 いくつもの自動販売機は並んでいなかった。あってひとつだ。駅の
 向かいの道一面に富士電機の建物、塀の生け垣の木だけが妙に自己
 主張して来る。建物は黙っている。どこまで行ってもずっと富士電
 機だ。私の使っているオアシスは富士電機で作っているものなんだ
 ろうかとふっとかかわりを見出し、あ、オアシスは富士通だと、す
 ぐ思い出した。既に、富士とか西部とか日本とかいう言葉は全部ご
 ちゃごちゃになってしまってわけが判らない。(中略)
  ……丈高く草の生えた線路の向こうに赤白の煙突、真っ白な煙、
 緑の金網の中にあまりにも錆びた巨大な石油タンク。錆の上にこび
 りついている時間が目の中でぞろぞろ動くのが恐くなって、ホーム
 に戻ると、ベンチの上に靴のまま小さい男の子がふたり立ち(すく)んで
 いる。》

 そして、終着駅の海芝浦では、こうです。

  《海芝浦……短いホームの片側に緑の鉄柵だけ、下は海、柵の下
 の海にベージュの汚い泡が浮かんでいる。中性洗剤とシャンプーの
 瓶が浮いて漂っている。扇島石油、昭和石油、というタンクの文
 字、扇島はここだ。昭和はどこだ。昭和てんぷら粉のトナリなのか
 ……子どもの頃、学級新聞の名前を昭和新聞にしようと言った奴
 が、大人過ぎると言って批判されていた。
  臭い、にアトピーの皮膚が反射し始めていた。目がチカチカす
 る。ここはSFの貴重な鉱石の採掘地。それがあると水が石油に
 なったり、石が金になったりする貴重な鉱石。でもすごく遠い星の
 気難しい、平均寿命が八千年の宇宙人が掘っているのだ。そうだ
 スーパージェッターに出てきたゴールドマシーン、なんでも金にす
 る機械というのがあった。が、二十一世紀の少年ジェッターが工作
 の時間に作ったそのゴールドマシーンを、なんで三十世紀の悪漢
 ジャガーが、タイムマシーンを使ってわざわざ二十世紀に取りに来
 ていたのだろう……なーんだでももうそろそろ、二十一世紀じゃな
 いか。》

 「タイムスリップ・コンビナート」という題名が見事に示しているように、ここでは工業地帯の情景に現在と過去とを二重写しにして、時空を錯綜させてゆきます。そして時空に歪みが生じるところには、必ず「思い出した」「覚えはない」と、記憶の有無にふれているのが、示唆的です。
 余談ですが、筆者は以前物好きにも、同著の文庫版を持って新宿駅から同じルートを辿って、海芝浦まで行ったことがありました。都内にもこうした迷路の果ての行きどまりの場所があったことに驚き、そのなんとも殺風景な荒涼とした風景は、まるで映画「ブレード・ランナー」そっくりの未来社会を見ているようでした。
 こうして迷路のような都会を逆手どって自分の文学世界を切り開いた彼女は、その後、民俗の行事を扱った『二百回忌』を経て、いよいよ加速し、『水晶内制度』『金毘羅』『海底八幡宮』と、独自の笙野ワールドを築きあげていったのです。


  浮遊する女 

 迷路を描くことでは、多和田葉子も負けていません。『かかとを失くして』(講談社文庫)を見てみましょう。笙野頼子には、まだしも通常のリアリズムの筆法を踏まえた部分がありましたが、多和田葉子になると私たちが馴れ親しんできたリアリズム小説を楽々と越え、どこか笑い飛ばしているような不敵な構えが現われています。
 夜行列車から異国の中央駅のプラットホームに降り立った「私」は、いきなりけつまずき、転倒して、自分でもよくわからない状態のまま、迷路のような町に足を踏みいれます。読者に知らされるのは、この町に住む男と「書類結婚」するため、どこか遠い国からやって来たらしいということだけです。通りがかりの子どもたちが、「私」に向かって歌を歌います。

  《旅のイカさん、かかと見せておくれ、かかとがなけりゃ寝床
 にゃ上がれん。》

 すなわち、これがこの作のモチーフで、欠けたかかとは、この町の人や文化と習俗、つまり共同体に属するための根拠が欠けていることを意味していて、イカは「異化」に掛けた言葉遊びです。
 そして、『ゴットハルト鉄道』(講談社文芸文庫)では、いきなり作者のオリジナリティが全開します。

  《ゴットハルト鉄道に乗ってみないかと言われた。ゴットハルト
 という名前の男に出くわしたことは、まだない。ゴットは神、ハル
 トは硬いという意味です。古い名前なので、もうそういう名前の男
 は存在しないということなのかもしれない。そういう名前の男は見
 たこともないのに、この名前を聞いてから三分くらいすると、ある
 風貌が鮮明に浮かびあがってきた。針金のようなひげが顎と頬に生
 えている。唇は血の色をしていて、その唇が言葉も出てこないの
 に、休みなく震えている。口をきこうとしない男。目は怖れと怒り
 でいっぱいで、打ち砕かれる寸前のガラス玉のよう。
  ゴットハルトの中を通り抜けて鉄道は走る、とスイス人は言う。
 つまり、男の身体の中を通り抜けて走るということ。長いトンネル
 に貫かれたその山は、聖ゴットハルトとも呼ばれています。つま
 り、聖人のお腹の中を突き抜けて走るということ。わたしはまだ男
 の身体の中に入ったことがない。誰でも一度は母親という女性の身
 体の中にはまっていたことがあるのに、父親の身体というのはどう
 なっているのか知らないまま、棺桶に入ってしまう。
  聖人のお腹の肉の中を走るのだと思って胸おどらせ、わたしはす
 ぐに承知した。》

 こうして新聞社から旅行の取材を依頼されたのは、在独日本人作家。語り手の〈わたし〉はその替え玉で、人の修士論文を書いてやったり、匿名でポルノ小説を書いたりして暮らしています。(ほんの一例ですが、このように彼女の作品はちょっとしたことでも、ひとつひとつ周到な工夫がこらされていて、あざとさを感じさせません。天性の作家たるゆえんでしょう。)
 この主人公のユニークなところは、トンネルの闇の中を通過することに、半醒半眠状態で恍惚としているところです。

  《単線のトンネルに入ると、わたしは快感のせいで、腕の上部が
 内外からくすぐったくなった。トンネルが食道、わたしは食べ物。
 食道を通るものの快楽。食道を通っていく時に食物はこんな快感を
 感じるのだろうか。》

 人を闇に閉じ込める洞窟やトンネルに、脅えていません。迷うこと、迷路に入りこむことを、むしろ楽しんでいます。それはかつてこの峠をこえて南国に赴くことを憧れたデーテやシラーを揶揄したり、日本の国旗については、「まわりから孤立して、自分をこっそりと世界の中心に据えた島の自己欺瞞」と、祖国を堂々と批判していることに現れています。


著者略歴
前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間(トポス)を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。