場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか

〈第十七章 いずこへ〉2
 佐伯一麦『還れぬ家』
前田速夫


  大震災のあと 

 二十世紀末からの日本は、阪神淡路大震災(一九九五)、オウム真理教による地下鉄サリン事件(同)、酒鬼薔薇事件(一九九七)、東日本大震災(二〇一一)、福島原子力発電所の放射能漏れ事故(同)と、世の中を震撼させる災害や事件、事故が相次ぎました。実際に戦争が行われているウクライナやアラブは別として、世界中を見渡しても、近年これだけの規模の人災、自然災害に集中的に見舞われた国は、珍しいのではないでしょうか。
 都会的なソフィスティケーションの名手村上春樹は、心の傷は傷として、現実とは上手に距離を置くことで、決定的な破局は回避してきました。けれども、『ねじまき鳥クロニクル』(一九九四−九五)で、地下の井戸を通り抜けた向こうに、ノモンハンでの戦いが行われた旧満州国を登場させることで、従来のデタッチメントからコミットメントへと転回を遂げ、地下鉄サリン事件の被害者にインタビューした『アンダーグラウンド』(一九九七)以後、二〇〇〇年刊行の連作短編集『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)ともなると、現実の事件がくっきりと影を落としていることに気づかされます。
 たとえば、『UFOが釧路に降りる』は、阪神淡路大震災の五日後、「もう二度とここに戻ってくるつもりはない」と実家に戻った妻から離婚の書類が届き、それに捺印して返送した男が、有給休暇を取って、同僚の依頼で釧路に荷物を届けます。空港に降り立つと、同僚の妹とその友人のシマオさんという女性に迎えられ、ここから話が急展開するのですが、シマオさんから、知り合いの美容師の奥さんが去年の秋にUFOを見て、一週間後に家出したまま戻らないと教えられる。荷物の中身は一体何だったのか、彼女が家出した理由は何なのか、まったく書かれていないのが無気味に感じられます。
 『神の子どもたちはみな踊る』では、母親が幹部をしている教団から「神の子」と呼ばれている善也(よしや)(綽名はかえるくん)が、夜のグラウンドでいまは地震で崩壊した街にいる母親のことを思って、踊ります。

  《どれくらいの時間踊り続けたのか、善也にはわからない。でも
 長い時間だ。わきの下が汗ばんでくるまで彼は踊った。それからふ
 と、自分が踏みしめている大地の底に存在するもののことを思っ
 た。そこには深い闇の不吉な底鳴りがあり、欲望を運ぶ人知れぬ暗
 流があり、ぬるぬるとした虫たちの(うごめ)きがあり、都市を瓦礫(がれき)の山
 に変えてしまう地震の巣がある。それらもまた地球の律動を作り出
 しているものの一員なのだ。彼は踊るのをやめ、息を整えながら、
 底なしの穴をのぞき込むように、足もとの地面を見おろした。》

 『かえるくん、東京を救う』では、そのかえるくんが、地震の元となる地下のみみずくんと闘って地震を阻止して東京を救うのですが、もちろんこれが書かれた時点では、まだ東日本大震災も福島原発の放射能事故も起きていませんでした。
 そして、実際に起きた東日本大震災を、進行中の作中で扱った長編が、佐伯一麦の『還れぬ家』(新潮社)です。
 佐伯一麦は、現代では珍しくなった、もっとも正統的な私小説作家。高校生のとき、父親に反撥して家出同然に上京した前歴のある光二は、いまは離婚後のごたごたで、仙台に近い生家(旧小泉村)のそばに、後妻と住んでいる。事情があって兄と姉は両親と疎遠で、記憶も身体も衰えていく父、介護に疲弊する母と向かいあわざるを得ません。
 父母への根深い心の葛藤を抱えながら、後妻とともに両親を気遣う日々――。この長編小説は、父親が認知症の宣告を受けた翌年の二〇〇八年三月七日発売の「新潮」四月号から雑誌での連載が始まり、発売直後の同月十一日、その父親が死亡する。これが作中に生じた第一の「段差」とすると、第二の段差が三年後の二〇一一年三月十一日に生じます。
 言うまでもありません。東日本大震災が起きたからです。ここで劇的な緊張が走り、この作品は一挙に深さと拡がりを獲得します。つまり、ごく私的な不幸であったはずの「還れぬ家」が、大量な悲劇としての「還れぬ家」になってしまったのです。
 同作の連載は、翌一二年まで断続的に続き、同年九月号に完結しますが、小説のラストは、その年の盆明け、八月二十日に行われた広瀬川での灯篭流しの場面です。ここで、三人称早瀬光二は、一人称の〈私〉へと変わって、作者の手記はこうなっています。

  《川原では、僧侶たちの読経が始っておりました。お父さんは派
 手なのが好きだったから、と母親はオレンジ色の灯籠を選びまし
 た。お父さんは、案外と明るいものが好きで、仕事の帰りにオレン
 ジ色の百合を買ってきたことがあるの、でも花粉が背広について大
 変だった、と小声で妻に教えていました。私たちは水色の灯籠を求
 めました。母親が父の戒名を祈願用紙に記入している隣で、私は、
 草木染の師匠と昨年アスベストによる中皮腫で亡くなった知人の名
 前を書きました。震災のあとさきに、ひっそりと亡くなった人たち
 がいることも想われました。さらに、隣の同年代とおぼしい男性
 が、「父、母、兄供養」と書いているのが目に留まり、胸を衝かれ
 ることともなりました。震災後ずいぶん経ってまで、複数の故人名
 を記した死亡広告が新聞に出ていたことが思い返されました。
  灯籠を流す列にならびながら、一昨年は泣けてきてだめだったっ
 ちゃね、と母親が妻に思い出したように言いました。新盆だった一
 昨年は、灯籠を流し終えた母親はあたりをはばからず号泣し、泣き
 終わると、気が済んだ、と言ったのでした。一周忌が済んだ昨年
 は、心もいくぶん落ち着いたように見受けられました。灯籠を係の
 人に渡し、流されていくのを見ていると、岸辺にひっかかった灯籠
 を見て、誰かが、帰りたくないんだっちゃねえ、と言っているのが
 聞えてきました。》

 終わってから、花火を目当てに人並みが増すなかを、三人は帰途につき、すし屋に寄ったあと、母親をタクシーで生家に送ります。

  《車を降り、暗い路地を向かって門扉の前に立ったとたんに、玄
 関の明かりが灯りました。妻が少し驚いた声を発すると、人が来る
 と自動で明かりが点くように、民生委員の人が取り付けてくれた
 の、と母親が説明しました。玄関先まで送り届けたところで、ここ
 まで連れてきてもらえば大丈夫だから、と母親がいい、私と妻はい
 とまをすることにしました。門扉を閉め、外から手を差し入れて錠
 を下ろしていると、今日訪れたときに妻が母親に話していた黒い揚
 羽蝶のことが思い出されました。路地を表通りのほうへと歩きだす
 と、生家の玄関の明かりがひとりでに消えました。》

 これがラストで、黒揚羽は、母親から最近よく見かけるようになったと聞かされた、父親の霊でしょう。


著者略歴
前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間(トポス)を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。