場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか

〈第十七章 いずこへ〉1
 安部公房『方舟さくら丸』/村上龍『五分後の世界』/吉
 田知子『日本難民』
前田速夫


  出口なし 

 巨大で画一的な現代の都市――その非人間的な圧力に押しつぶされて、虚ろな、顔の無い群衆と化した人間の姿を、晩年の安部公房は冷ややかで暗鬱な色調で描きだしました。トポスの消滅は、ある意味、文学空間の消滅です。『燃えつきた地図』以降、作者は『箱男』『密会』とさらに長編を書き継ぎますが、どれもトポス消滅後の苦渋がにじんでいます。
 『方舟さくら丸』(新潮文庫)の主人公は、「豚」もしくは「もぐら」と綽名された男。地下採掘場跡の巨大な洞窟(古典文学では再生の空間です)に、自力で核シェルターの設備をつくりあげ、「生きのびるための切符」を用意して、乗船適格者と認定した三人の男女と共同生活を始めます。ところが、謎の侵入者があらわれて、その計画は崩れ、滑稽にも最後は便器に片足を吸い込まれて身動きが取れなくなってしまう。つまり、現代のノアの方舟(これも中空の空間です)はどこへも出発できないまま、航行不能に陥ってしまうのです。
 再生の場所、生きのびる場所であったはずの洞窟が、現代ではその機能を喪失していたという痛烈な皮肉。ダイナマイトに点火して爆発を起こさせ、やっとのことで脱出すると、外は透明な日差しが、街を赤く染めている。

  《それにしても透明すぎた。日差しだけではなく、人間までが透
 けて見える。透けた人間の向こうは、やはり透明な街だ。ぼくもあ
 んなふうに透明なのだろうか。顔のまえに手をひろげてみた。手を
 (とお)して街が見えた。振り返って見ても、やはり街は透き通ってい
 た。街ぜんたいが生き生きと死んでいた。誰が生きのびられるの
 か、誰が生きのびるのか、ぼくはもう考えるのを()めることにし
 た。》

 なぜ人間が透けて見えるのかと言えば、それは自分も含め、みな生ける亡霊だからでしょう。そして、安部公房最後の長編『カンガルー・ノート』の主人公は、ある朝突然、かいわれ大根が脛に自生していた男です。訪れた病院で麻酔を打たれて意識を無くした彼は、目が覚めるとベッドに括りつけられています。医者から硫黄温泉行きを宣告された彼を載せ、生命維持装置付きのベッドは、滑らかに動き出します。坑道から運河へ、塞の河原から共同病室へ、果てなき冥府めぐりの先には、もちろん物質としての死が待つだけです。
 現代の文学がきわめて困難な状況に立ち至ったというのは、こういうことです。大仰に言うなら、文学の可能性、不可能性は、いや、私たち自身の存在可能性と不可能性は、こうしたことを踏まえないでは、考えることができなくなってしまっているとさえ言えるのかもしれません。


  日本国滅亡? 

 唯一の被爆国である現代の日本には、こうしたディストピアを描いた作品が、けっこうあります。村上龍の『五分後の世界』(幻冬舎文庫)は、五分前まで箱根の別荘地をジョギングしていた男が、意識を回復したときは、硝煙の漂うぬかるんだ道を兵士として行進している地下の日本国が舞台です。

  《誰も逃げようとする者はいなかった。裸電球は()け放しで、電
 圧が下がるのか時々暗くなった。混血児達のボソボソとした世間話
 から、小田桐はさらに情報を得て、起きている間は朦朧(もうろう)としてく
 る意識でそれをまとめた。まぎれもなく、ここは日本だった。死者
 の国、死後の世界という可能性が消えたわけではないが、それでも
 日本という固有名詞を持つ場所であることは間違いがない。百パー
 セントの日本人は、二十六万人しかいない。彼らは、国民とか国民
 ゲリラ兵士とか呼ばれて、その姿を見られるだけでもすばらしいと
 いうような、まるでF1レーサーのような圧倒的な存在である。そ
 の下に、明らかな区別があるかどうかわからないが、準国民と呼ば
 れる大勢の人間がいる。看守も、あの調査官のほとんども、驚いた
 ことに準国民だった。この混血児達は、非国民と呼ばれていて、も
 ちろんここでは小田桐もこのカテゴリーに入るのだが、一年に二
 度、準国民審査というものがあり、今がその時期なのだった。国民
 はアンダーグラウンドと呼ばれるところにいる。それは中部山系の
 地下、富士の北側といわれているが、混血児達の中にはそこへ行っ
 たことのある者はまったくいない。準国民でさえアンダーグラウン
 ドに入るのは相当難しいらしい。日本はいくつかのブロックに分か
 れている、というよりオールドトウキョウやキュウシコクなどとい
 う地域にしか町はないようだ。》

 ここで小田桐が自分を、非国民の混血児達に自己同一化していることに注意しましょう。高校時代に基地の町佐世保で「ヤンキーゴーホーム」を叫んだ男が、同じく基地の町横田を舞台に『限りなく透明なブルー』で作家デビューする。その鬱屈を晴らすように、五分前の何もかも去勢された屈辱的な日本とは反対に、人口こそ激減していても、世界最高の軍事科学組織を備え、戦い続けることがすべてに優先するこの簡明で男性的な世界で、小田桐は敵の連合国軍相手にひたすらゲリラ戦に熱中する。そうした場面に来ると、作者の筆はまるでアドレナリンが放出されたように、生き生きとしてきます。

  《風は背後から吹いて、その強弱で炎が照らし出す範囲と位置が
 変わり、その()()中腰で前進してくる敵の一群が視界に入る。中に
 は伏せている敵もいる。伏せている敵は狙って撃っても倒すことは
 難しい。中腰になると的は格段に大きくなる。セミオートにして
 三、四発撃つと距離が短いので必ずからだのどこかに当たる。ライ
 フルというのはこれほど軽くて反動も少なくまっすぐ飛ぶものなの
 かと小田桐は少し驚いていた。何人を殺したのか憶えていなかっ
 た。最初の一人はあの顔全体を吹き飛ばした奴だった、あとはみん
 な同じ服装とヘルメットで同じ姿勢だからわからない、マガジンを
 二度交換した、あと一個しかない、手榴弾はあと三発残っている、
 十人以上倒したような気もするし、それが全部錯覚だったような気
 もする、たぶん首とか心臓とかだろうが一発で倒れて動かなくなっ
 てくれる奴は楽だった。》

 吉田知子の『日本難民』(新潮社)は、平凡な主婦のごく日常的な暮らしが、そのまま近未来の日本がたどる暗い運命に移行しています。

  《車は昨日ほど多くない。おとついあたりが最高潮だった。いつ
 もは静かな住宅街なのに、大通りを迂回する車がどんどん入りこん
 で道幅いっぱいになり、渋滞していつまでたっても動かない。乗っ
 ている人たちが、うちにトイレを借りに来たり水をもらいに来たり
 した。周囲の家はみな門があり、門から建物まで距離がある。玄関
 が直接道に面しているのはうちだけだから次々に人が来る。
  もう大変らしいですよ、東京は。焼け野原だそうです。私のとこ
 ろからも火が見えました。工場やなんかがいくつも爆発して。もう
 全部。飛行機が何台も頭の上を飛んでいきました。テレビ局とか
 ね、電波関係が真っ先にやられました。ほら、軍需工場なんてない
 から、今は。連合国は日本を抹殺するのが目的だなんていうけど、
 まさかとは思いますが。
  もちろん自衛隊も応戦すべく集結したのですが、そこを一挙にや
 られて。そう、あちこちの基地が同時に。信じられないことが起
 こったのです。情報は入っていたらしいのに軽視していたんです
 な、政府は。動揺を恐れて国民には一切知らせなかった。というよ
 り、そんなことあり得ないと思っていたらしい。ああ、なんてばか
 なことだ。》

 きれぎれにそんな情報を伝えていく避難民の群れを見て、不安に駆られた夫婦は、半信半疑で車での脱出をはかります。気がつくと、うしろの車に向いの家のシンパラ氏が乗っていて、どこまでもついてくる。その夜は、前に来たことのある、山奥の廃屋と化した温泉旅館に泊りますが、翌朝、そこで一緒になった一家の幼児が、避難の途中で死亡したのを埋葬するあたりから、周囲の様子がどんどんおかしくなっていきます。

  《ガッ、ガッ、ガッ、と靴音を立てて大勢が来る。もういい。私
 はそのまま立っていた。迷彩色の服を着た顔の見えない男たちが私
 目がけてやってくる。大きなマスクをかけ顔の上半分を覆う保護メ
 ガネをかけてひたひたと近づいてくる。手には武器を持っている。
 銃のようなもの、マンドリン型の回転銃、噴霧器様のもの。次々に
 私の中を抜けていく。私はただゆらゆら風に揺れている。彼らに踏
 まれた短いイネ科の雑草は、一度倒れてもまたすぐに起き上がっ
 た。左隣の夫はまだ半分折れ曲がったままだ。それをいいことにマ
 サ子に絡みついているのかもしれない。私は右隣で揺れているシン
 パラ氏にカリョウビンガだよ、と言った。シンパラ氏は笑いながら
 うなずいた。雪はもう止んだが、明日の朝は霜が降りるかもしれな
 い。そして日が差してくれば葉の上に透明な露の玉を転がすだろ
 う。春になれば母子草やたんぽぽやイヌフグリの花が咲くだろう。
 私のよく知っている花たち。日本の花たち、虫たち、鳥たち……
 …。》

 崖から滑り落ちた〈私〉の、夢とも幻想とも錯乱ともつかぬ、最後の場面です。連合国軍が攻めてくるというのが、はじめはデマではないのかと思わせ、それでいて次第次第真に迫ってくるのは、この作者の父親は戦時中、樺太で特務機関長を務め、ソ連軍に連行されたまま帰らぬ人となり、作者自身、幼時、満州の奥地に育って、敗戦時、ソ連兵に追われて命からがら大興安嶺を越えて脱出した体験があったからでしょうか。ちなみに、新芥川賞作家、砂川文次の『小隊』(文春文庫)では、ロシア軍がすでに北海道に侵攻しています。


著者略歴
前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間(トポス)を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。