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昼寝から覚めると書斎に入る。元旦には三つの事をすることにしている。印を彫る。絵を描く。手紙を書く。印は初彫りだ。三ヶ日までに彫ることを初彫りという(これは私が命名したことで一般にはどうか分からない)。初彫りをどうするかが暮れのテーマである。何を彫るか、どれから彫るかが迷うところだ。秋から年末までの注文で難しそうなものは、初彫りにためておく。暮れに段取りをつけて石を用意をする。それを文机に並べて元旦を待つ。それまでは彫らない。彫りたいが、あえて彫らない。年が明けて、難しそうな印から彫り始める。そして一つずつ、一気に彫る。
初彫りは、特別な気合を入れ、心にけじめをつけるようで、普段とは違い、清い心で彫った気分になる。また注文者へも「石の中に福を入れました」と言えるような気がしている。これは根拠もないことだが、お正月とご利益を結びつけると、一年の幸せを想う気持ちが強くなってくる。もちろんそのとき完成もあり、次の日に回すものもあっていい。だが初彫りの結果がどうであれ、この元旦に彫るというのが私の大きな儀式なのだ。
今年の初彫りは、夏に「猫印を彫る」という企画があるので、見本も兼ねて猫を彫ることにした。猫は得意分野なので、元旦にデザインを考えることにした。猫の好きな人は、猫のどんな種類でも好きだ。だからいろんな形の猫を想像する。デザインもなるべくきっちり書かず、細かいところは彫るときに想像しながら刀にまかせる。とりあえず思いつくまま彫っていく。気がつくと十種類の猫印が出来上がっていた。その他に住所印などもあって、初彫りとしては十分だ。
それが終わると書初めだ(私の場合は書でなく絵の描き始めをいう)。これも印と同じで、注文の絵があれば暮れにため、この時に描き始める。白い和紙をながめイメージをした絵に向かって色を無造作につけていく。この場合色をつけることが大事で、完成しようとは思わない。書初めはそれでいいのだ。簡単でも何をしたか、何から手をつけたかが肝心なのだ。
それから手紙を書く。気の向くままに2〜3人。この日に書く手紙は、内容はともかく「元旦に書いた」というのが重要だ。手紙の最後に書く「元旦」という文字に思いがこもる。何でもそうだが、日々の区切りがあるもので、元旦と2日では全く違うのである。また3〜5日となっても弱い。元旦は元旦である。日本の季節に行う区切りの行事は大切にしている。特にお正月に作るものは私の中では重要なのだ。元旦だからといって長々と書いたり彫ったりはしない。せいぜい夕方の5時ごろまでである。この短い貴重な時間の使い方が私らしいのだろう。
時どき、注文の大作の絵を元旦から描いたりすることがある。これも燃えるものがあって、うれしい作業だが、人生の中でそう何回もあることでなし「今しかできないのでは」と思ってしまう。それはそれで忙しいことだが、非常に幸せなことでもある。「相手が待っている。期待している」と思うと気が引き締まる。毎日こうして気を引き締めていたらいいのだが、そうなるといつものような間の抜けた絵や印は出来ないのかもしれない。
三ヶ日はダラダラと過ごしてもいいが、一年一年、そう長くはない。年の初めにどんなものを彫り、どんな絵を描き始めたかが肝要だ。それが終わると又いつものように日々凡々とした暮らしになっていく。今年も大変な時代になりそうだ。だから自分の小さな穴の中で、静かにコツコツと活動して行きたいと思っている。
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