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もぐら庵の新春対談(その2)
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もぐら庵(以下、も):昨夜はお酒もまわって泊まってもらいましたが、よく眠れましたか?

編集(以下、編):…はい、調子に乗って申し訳ありませんでした。でもやはり朝は厳しい寒さですね。

も:熱くて濃い茶は私の毎朝の習慣です。モナカと一緒にいかがですか。それが済んだら茶粥でも用意しましょう。
imageさて、囲炉裏が暖まるまで昨夜の続きを話しましょう。

編:ご著書や展覧会でも、たくさんの素敵な絵を拝見しますが、絵はいつ頃から描きはじめたのですか?

も:もう30年前になりますか、第一回目の遊び印展では絵や書というのは全くありませんでした。ハンコは小さいものですから、机に並べてもわずかなスペースで済んでしまいます。そこで壁に何か飾りたいなと思ったのです。

編:それで?


imageも:数年後の個展の時に、たまたま家にあった和紙のハガキに虎の絵を描いて飾ったら、とても好評でした。「それならば」と、筆と墨を買って来て、絵や文字を書くようになったのです。趣味の油絵は以前から描いていましたが、墨で描くのは初めてでした。これが描いてみると大変面白いのです。いや、後で考えると墨と筆というのは下手でもよく見えるのですねぇ。

編:絵の中にも印がありますが、絵と印が合体させたのはいつ頃からですか?

も:北京展の前ですから、1990年頃です。

image 編:絵を描いてから印を彫るのですか、それとも印を彫ってから絵を描くのですか?

も:これには2つの方法があります。まずこんな絵を描きたい、そこにこんな印を押したいと思って印を彫ります。もう一つは面白そうな印を先に彫って何かの時に、絵の中に押そうと考えます。適当に彫ったのが思った以上に混ざり合い、いい作品ができることがあります。

編:印の連続性ですか?

も:そうです印は一つ押してもいいのですが、連続して押すと、なぜか笑いを誘い、絵に表情が出てきます。
ささ茶粥の支度ができましたので、冷めないうちにどうぞ。話しながら頂きましょう。

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編:なんのお手伝いもできずに申し訳ありません。美味しそうですね。
話は戻りますが、書はどこかで習われていたのですか?

も:習ったことはありません。すべてが“我流”です。これも後で考えてみると、自分らしい書というimage意味で、習わなくてよかったと思っています。

編:言葉はどうやってつくっているのですか?

も:言葉は絵と違って常に考えていないといけません。すぐには出てこないので、日々言葉探しをしています。明治時代の格言や文化人の言葉、江戸狂歌などから気に入ったものを一冊のノートに書き出しているのです。

編:なるほど。それをそのまま使っているのですね?

も:いやいや、すぐ使えるものはありません。私流にいうと、「笑い」や「時代性がない」からです。そこから自分でアレンジしてつくった言葉を別のノートに書きためておくのです。いわば私のトラの巻です。作品づくりの時に見るようにしています。いろんな言葉をアレンジして現代に通じるように変えていくことが大事でしょう。

編:言葉があるとないとでは随分違うでしょうね。

も:そうですね。言葉が入ると中身が違ってきます。
これは言葉の力、絵の力とお互いに溶け合って初めて完成するものだと思います。絵を眺めている時に、いい言葉が飛び出してきたり、偶然にイメージから出た言葉で、絵にぴったり収まることもあったります。
またこんな絵ですから、少々の生意気でも許されると思うのです。

編:日々の努力でしょうか?

も:いや、これは楽しい作業です。気に入った言葉ができるとうれしいものです。
それと、他の人の作品を見ていると、説教臭いのや、教えてやる、というようなのが多いのですが、私はそんなにしたくないのです。だからこそ、『描く絵は一瞬、言葉は年月』なのです。

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