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数多くの作品展を開いているが、作品を見て仕事(注文)になることは珍しい。作品集を見せ名刺をバラまいても仕事に結びつくことは、めったにない。
ところがその「めったにない」ことが起こったのだ。
2007年5月、東京は羽村市で個展をすることになった。羽村市は米軍横田基地のある立川市やマラソンで有名な青梅市などと隣接していて、多摩川周辺の自然や武蔵野の面影を残す緑につつまれた都市だ。そこには、友人のNさんが住んでいる。Nさんは今回の個展会場「羽村市生涯学習センター・ゆとろぎ」がオープンする際にポスターやパンフレットを制作した有名なデザイナーだ。
「ゆとろぎ」は羽村駅より歩いて8分位の所にあり、市が50億円かけて一年前に建設したものだ。内部にはコンサートホールやギャラリー、学習教室などがある。そのギャラリーで「ゆとろぎ一周年記念事業の一つとして、もぐら庵さんの個展をしませんか」とNさんから声がかかった。
「私も手伝うから」とのNさんの心強い後押しがあっての実現だ。
私の個展は百貨店の画廊や本屋のギャラリー等、商業施設ですることが多い。つまり売ることを目的としているのだ。長年そんな所でやってきたが公的な場所でやるのは初めて。市の施設だから、作品は「飾るだけで売らない」ことが建前だ。そこで、今回はいつもの個展と違って「売れないもの」を作ろうと思った。物を作る人たちは「売るもの」「売れないもの」をあまり区別して作らないだろうが、私の場合はおぼろげながら区別をしている。物作りの人が「売りたい」と思っていて、でも売れないことは多い。私にいわせると簡単だ。「時代が欲しいものを作ればいい」。いつもそんなことを実感しながら作っている。
さて今回は、普段作りたいと思ってはいるが売れないもの、を考えてみた。色を使うのはやめて印と水墨の組み合わせだけ、白と赤と黒の世界をテーマに30点作ることにした。これをメインに畳一枚大の絵2点、掛け軸、ミニ絵。20年以上ためてきた本物の印影帳、陶芸やガラスの印、と多彩だ。なにしろ会場が130平方メートルもある広さなので、たくさんもっていかないと埋まらないのだ。

正月明けから3ヶ月かけて数多くの作品を羽村市の「ゆとろぎ」に送った。私の自宅からは遠いので飾り付けは先方におまかせだ。Nさんは、デザイナーらしくコンピュータを使って配置や場所の設定を立面図や寸法を入れて細かく作ってくれた。私も数回見たが詳しくはわからないので全てNさんまかせだ。飾り付けは教育委員会のSさん、「ゆとろぎ」で働く人たち、Nさん夫妻、西千葉のギャラリーに勤めている知人のK夫人がしてくれた。このプロの人たちにまかせると完璧だ。でもこれだけのベテランがそろっていても夜遅くまでかかったらしい。
オープンして数日後、上京して「ゆとろぎ」を訪ねた。会場は広々としていて天井も高く、立派な建物だ。私の作品もブロックごとに分かれていて見やすい。やはりプロの人たちは違うなぁ、そしてこの飾り付けは大変だったろうと思った。
あるご夫妻が、ある日、「このはづく」とはどんなふくろうなのかを調べようと、羽村図書館に来たそうだ。そして図書館の前が偶然にも「ゆとろぎ」。そこに私が個展をしていたという。すると後日訪問の約束をして帰られたのだった。
「ゆとろぎ」での個展期間中に「遊び印教室」を2日ばかりすることになっていた。ある日その教室が終わった時、三人のお客さんが待っていた。受付をしていたNさんが「先生に絵を注文したいという方たちです」とおしえてくれた。羽村図書館に来て偶然個展を見ていってくれた方たちだ。ギャラリーの隣はきれいな喫茶店になっているので、そこでお話を伺うことになった。
この三人は、「青梅の杜」を管理している会社の人たちで、社長さんと課長さん、もう一人はパン焼きのチーフとのこと。チーフは清里でも有名なパン工房を開いているらしい。その管理している森の中に手作りの「薪窯パン工房」を作る予定なので、シンボルになる絵を描いて欲しいという。工房をつくろうとしている森の中には「このはづく(仏法僧)」というふくろうの種類が多く、工房の名前は初めに「木の葉」と決めてあったらしい。先日偶然にやってきた個展会場で猫や兎やふくろうの絵がたくさん飾ってあったのを見ていた時、Nさんに「この椿いっぱいの木を青梅の森の木に変えて、枝にはこのはづくが止まり…」と話しかけられて、一気にシンボルの絵のイメージが膨らんだそうなのだ。
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