第18話 【最終回】 雨ごいの祭り――孔子の理想とした暮らし

 

 部首とは、その漢字の意味のカテゴリーを表すものである。
 というと、何やらむずかしそうに聞こえるかもしれない。だが、「木へん」の漢字はたいてい、樹木や材木に関係する意味を持っているし、魚の名前を表す漢字のほとんどに「魚へん」が付いている。そのことを思い出していただければ、部首と漢字の意味との関係は、おおむね、理解していただけるだろう。
 とすれば、「雨かんむり」の漢字は、雨にまつわるものばかりだということになる。たしかに、「雷」もそうだし、「雪」もそうだ。ほかにも、「霜」「露」「霰」「霙」などなども、意味の上で雨と結びつけることができる。
 ところが、「雨かんむり」の漢字の中には、一見すると雨とは関係がなさそうなものも存在する。
 たとえば、「幽霊」や「霊魂」の「霊」に、どうして「雨かんむり」が付いているのだろうか? 幽霊はしとしとと雨の降る夜に出るもの、と決まっているわけでもあるまいに。
 多くの漢和辞典が説明するその答えは、こうである。
 「霊」は、旧字体では「靈」と書く。下の方に見えている「巫」は、「巫女(みこ)」の「巫」で、神に仕える祈禱師を表す。ここから、「霊=靈」も、もともとは「神に祈って雨を降らせる」こと、つまり「雨ごい」を意味する漢字だと考えられる。古代の中国では祖先の魂が神として崇められていたところから、「霊魂」や「幽霊」のように使われるようになった、というのである。
 なるほど! 本来の意味が「雨ごい」なのであれば、「雨かんむり」が付いているのも当然だ。
 ただし、「霊」の成り立ちには、異説もある。たとえば、学研の漢和辞典『漢字源』に載せる説が、その例だ。
 『漢字源』の説では、「靈」を構成する要素のうち、「巫」ではない方の「(れい)」にも注目する。この漢字で3つ並んでいる四角形は、「雨粒」の形なのだという。つまり、「霝」は「雨粒」を意味する漢字なのであり、それに「巫」を組み合わせた「靈」は、祈禱師が仕える「雨粒のように清らかな魂」を指すのだ、と考えるのである。
 「雨ごい」と「雨粒のような清らかさ」。どちらに説得力を感じるだろうか?


 どうして「雨かんむり」が付いているのか、一見しただけでは首をひねりたくなる漢字として、もう1つ、「需」を挙げておこう。
 この漢字は、「需要」のように使われ、「必要なものを求める」という意味を表す。その成り立ちについて、紀元1世紀ごろに書かれた漢字研究の古典、『説文解字(せつもんかいじ)』では、本来は「雨が上がるのを待つ」ことだ、と説いている。先ほどの「霊」が「雨ごい」を指すのだとすれば、「需」は、いわばその正反対の漢字だということになる。
 「消費者の需要に応える」「この商品はまだまだ需要がある」などと用いる「需要」には、だれかが欲しがっているというイメージがある。ただ、その欲しがる気持ちが積極的なものかといえば、そうでもない。「需要」とは、だれかが供給してくれるのを消極的に「待つ」ことなのだ。
 「需」という漢字には、このような「待ち」の姿勢が含まれている。『説文解字』の説は、そんな「需」の特徴をよく踏まえているように思われる。
 もっとも、この説は、現在に至るまで支持され続けているというわけではない。最近の辞書では、「需」に「氵(さんずい)」を付けた「濡」が「ぬれる」という意味であることに着目して、「需」も本来は「雨にぬれる」ことだとしているものも多い。そこから「必要なものを求める」という意味を導き出す過程は辞書によってさまざまなのだが、「雨にぬれる」ことが持つ消極的なイメージは、ここでも、消極的な「需」の特徴と合致しているようだ。
 これらとは一線を画すのが、漢字研究の権威、白川静の説である。
 白川説によれば、「需」の本来の意味は、「霊」と同じく「雨ごい」だという。そこから転じて、「必要なものを求める」という意味になるのだ、と。
 日照りが続いて農作物が枯死しそうになったとき、恵みの雨を求めて天に祈るというのは、非常に切実な状況だろう。この「需」は、消極的なイメージではない。とはいえ、人間は、自分たちだけの力で雨を降らせることはできない。「雨ごい」という行為は、どうしたって受け身である。欲しくてしかたないが受け身で待つしか方法がない。――そう考えると、白川説も、現代の「需要」とうまくつながってくれるようである。


 以上のように、漢字の成り立ちについては、複数の説が存在していることが多い。読者としては、それを読み比べて、自分にとって最も納得のいきやすいものを選ぶしかないわけだが、それもまたむずかしいのが現実だ。
 ぼくは、個人的には、「霊」や「需」を「雨ごい」だと考える説に魅力を感じてはいるのだが、それはあくまで魅力のレベルにすぎない。何より、どちらの漢字も、古い時代の漢文にまでさかのぼっても、「雨ごい」という意味で使われた例にめぐり逢わないのが、「雨ごい」説に軍配を上げるのをためらわせるところだ。
 古代中国の人々が、雨ごいをしなかったわけではない。雨ごいの記録は、たくさんある。ただ、それらには「霊」も「需」も出て来ない。その代わりに登場するのは、「雩」という漢字である。
 この漢字を漢和辞典で調べてみると、音読みでは「ウ」と読み、意味は確かに「雨ごいの祭り」だと載っている。とはいえ、現代の日本人にとっては、とんと見慣れない漢字だろう。
 ただ、「雩」については、『論語』の「先進編」に印象的な用例がある。
 あるとき、孔子は弟子たちとくつろぎながら、それぞれの理想とする生きざまを話してみなさい、と語りかけた。弟子たちはみな、自分が政治家として活躍するようすを夢見て、語っていく。ところが、曾晳(そうせき)という弟子だけは、まったく異なる答えをしたのである。
 「莫春(ぼしゅん)には春服既に成り、冠者(かんじゃ)五六人、童子六七人を得て、()に浴し、舞雩(ぶう)(ふう)して、詠じて帰らん」
 「莫春」は「暮春」に同じ。「冠者」は成年男子、「童子」は未成年の男子。「沂」とは、川の名前である。
 春も暮れゆくころ、仕立てたばかりの春服を着て、一族の若者たちを引き連れて川で水浴びをしたい、と曾晳は言うのだ。そして、「舞雩」つまり、雨ごいの踊りをする高台で涼んでから、歌をうたいながら家路につく。そんな暮らしこそが、自分にとっては理想なのです、と。
 さっぱりとした体で、心地よい春風に吹かれながら、家族と一緒に、高台からのはるかな眺めを楽しむ。なんと落ち着いた暮らしぶりであることか。
 曾晳のこの答えに、孔子も「私もお前に賛成だな」と溜息をついたという。
 『論語』のこの場面から、当時の中国では、雨ごいを行う特定の高台があったことがわかる。ただ、その場所には「雨ごい」から連想される切羽詰まったイメージはなく、むしろ、行楽地として地元の人々に愛されていたようである。
 「雩」が表す「雨ごいの祭り」とは、実際にはどのようなものだったのだろうか。
 古代中国のさまざまな慣習を記録した『礼記(らいき)』の「月令(がつりょう)編」では、「盛んに音楽を演奏する」とある。古代中国の歴史書の1つ、『春秋公羊伝(くようでん)』に付けられた注釈によれば、少年少女8人ずつが踊るのだという。
 いざ、雨ごいをするときには、鉦や太鼓を打ち鳴らし、子どもたちが舞い踊る。ふだんはといえば、その高台は人々の憩いの場となっている。「雩」が表す「雨ごいの祭り」は、何やら底抜けに明るい印象だ。
 雨が降らなければ、死ぬかもしれない。――「霊」や「需」を「雨ごい」と結びつける説からは、そういった切迫した思いが汲み取れる。だが、「雩」は異なる。破滅寸前の状況の中で、楽器を鳴らし、舞い踊ってみせるのだ。
 ここで思い出すのは、日本の神話、例の「天の岩戸」の物語だ。
 洞窟の中に閉じこもってしまった天照大神。それは、太陽が現れないという危機的な状況の象徴なのだろう。困った八百万の神々たちは、洞窟のまわりに集まって、鳴りものをにぎやかに響かせ、ヌードまがいのダンスまでくり広げて、大笑いをする。天照大神は、その騒がしさに興味を惹かれて、入り口を少し開けて、外をのぞいて見ようとした。
 その瞬間、太陽神は引きずり出されてしまうわけだが、これも、生死のかかった大ピンチを、どんちゃん騒ぎで乗り越えようという作戦なのだ。
 太古の人類は、そういう力強い生命力に満ちていたのだろう。人類が苛酷な自然環境の中を生き延びて、現在の文明を築き上げるに至った原動力は、知恵や技術ではなく、どんなときでも明るさを失わないという、心の持ちようだったのかもしれない。


 「雨」にまつわる漢字を中心に、漢詩や漢文にまで手を伸ばして書き綴ってきたこの連載。毎月、かなり苦労して材料集めをしてきたのだが、いよいよ、ネタぎれになってしまった感がある。というわけで、ここらで、一区切りとさせていただくことにする。
 1年半もの間、読んで下さった方、ほんとうにありがとうございました。