第17話 雨上がりというドラマ――「晴」と「霽」の違い
中学1年生の春、英語を習い始めたばかりのころ、お天気を英語ではどのように表現するかを知って、ちょっとした疑問を覚えたことがある。
雨ならば、It's rainy.という。曇りならば、It's cloudy.といえばいい。どちらも、雨を表すrain、雲を意味するcloudと関係が深い表現だ。でも、晴れの場合は、It's fine.とか、It's clear.という。直訳すれば、「すばらしい」とか「くっきりしている」となる。
――不思議やなあ。英語には、「はれ」を意味するオリジナルの単語はないんやろか?
のちになってsunnyという単語があることを知って、この疑問は一応の解決を見たのだが、教科書的には、fineやclearを使う方がふつうのようだ。英語は不思議な言語だ、という中1の春のとまどいは、今もって、完全に打ち消されたわけではない。
その点、中国語は安心だ。だって、「晴」という漢字があるもの。太陽を示す「日」に「青」を組み合わせて、太陽が輝いて空が青く澄みわたった「はれ」の天気を表すのだ。なんともわかりやすい漢字ではないか!
ところが、ぼくのこの安心感も、30代になって漢和辞典の仕事をするようになると、揺らぎ始めてしまった。なぜなら、漢字が誕生したころの中国には「晴」という漢字はなかった、という事実を知ったからである。
紀元前1300年ごろの中国には、たとえば、「明日、王が狩りに出かけたいのだが、吉か凶か?」といったようなさまざまなことを、占いで判断する風習があった。亀の甲羅や動物の骨を火であぶって、そこにできるひび割れの形で占うのである。
その占いの内容と結果は、使った甲羅や骨に刻みつけて記録された。その際に用いられたのがいわゆる「甲骨文字」で、現在のところ確認できる、最も古い漢字の祖先である。
甲骨文字は5000種類ほどが発見されていて、そのうちの2000文字ほどが解読されているという。だが、その中に、現在の「晴」に相当する文字は含まれていない。
甲骨文字からやや遅れて、紀元前1100年ごろを中心として、青銅器に鋳込まれた「
時代はずっと下って、紀元前3世紀の終わり。中国大陸を初めて政治的に統一した秦王朝の始皇帝は、当時、各地方でさまざまに書かれていた漢字の形をも統一した。いわゆる「
紀元後の1世紀の終わりから2世紀の初めごろに、この篆書を1万字ほど集めて、その意味と成り立ちを説明した辞書が作られた。それが、この連載でもしばしば登場する『説文解字』なのだが、この辞書にも、「晴」に対応する篆書は、載せられていない。
このような事実からすると、漢字が誕生してから約1500年もの間、「晴」という漢字は存在していなかった、と思われる。
でも、だからといって、中国古代の人びとが「はれ」という天気を書き表すことがなかったわけではない。実は、お天気の「はれ」を表す漢字は、もう1つあるのである。
その漢字は、「霽」。音読みでは「セイ」と読む。
なんだ、だったら「晴」と読み方も意味も同じ漢字、いわゆる「異体字」じゃないか、と早とちりしてしまいかねないのだが、そうではない。現代中国語では、「晴」はローマ字表記ではqingとなる発音をするのに対して、「霽」はji。古代の中国語でもこの2つは違う発音がされていて、別のことばを表す別の漢字なのである。
「霽」は、「雨(あめかんむり)」の下に「齊」と書く。なにやらややこしい形をしたこの「齊」は、「斉」の旧字体。これに「氵(さんずい)」を付けたのが、現在では「返済」のように「おしまいにする」という意味で用いる「済」で、本来は「川を渡り終える」ことを表す。同じように考えて、「齊」に「雨」を組み合わせた「霽」は、「雨が降り終わる」ところから「はれる」ことを表すようになった、と解釈されている。
この漢字は、『説文解字』にも収録されていて、篆書では図の左側のような形をしている。それだけでなく、甲骨文字の中にも、図の右側のように、「霽」の祖先だと推定できる文字が存在している。古代中国の人々も、「はれ」のお天気を書き表す漢字を、きちんと持っていたのである。

そうはいっても、「晴」と「霽」とは、やはり異なる。「晴」は、太陽が輝いて空が青く澄みわたっているわけだから、「はれている」という天候の状態が発想の基盤にある。そこから意味が広がって、雨がやんで「はれる」という天候の変化を指しても使われる。一方の「霽」は、そもそも「雨が降り終わる」という天候の変化から生み出された漢字なのだ。
この違いの背景には、漢字が占いから発生してきた、という事情があるのだろう。
古代中国の占いについて記した『史記』の「
つまり、彼らが興味を持っていたのは、天候の変化だったのだ。だからこそ、変化を表す「霽」という漢字が生み出されたのだろう。裏返せば、中国古代の占い師たちは、「はれている」という天候の状態そのものにはあまり興味がなかった。だから、「晴」のように、「はれている」という状態から発想された漢字は、誕生が遅れたのではなかろうか……。
現在、残されている文献の上に「晴」という漢字が登場するのは、紀元後の3世紀ごろのことである。以後、「晴」は、活躍の場をだんだんと広げていく。そして、8世紀ごろ、唐王朝の時代には、「霽」よりもよく使われるようになっている。
そこには、状態と変化の両方を表せる「晴」の方が、変化しか指し示さない「霽」よりも使い勝手がいい、という理由もあっただろう。また、「霽」は入り組んだ形をしているから、勢い、書きやすい「晴」の人気が高まったという事情もあったことだろう。
では、「霽」は衰退の一途をたどったのかといえば、そうでもない。雨から晴れへの変化をきちんと表したいときには、やはり、「霽」にお呼びがかかるのである。
たとえば、7世紀の文人、
雲
「彩は徹し区は明らかなり」とは、1つ1つのものの色彩や形の区別がはっきりとしていること。雨にもやっていた情景が、一転して色も形も鮮明になる。そのドラマチックな変化を描き出すには、「霽」という漢字がふさわしい。
また、9世紀の文人、
複道の空を行くは、霽れざるに何の虹ぞ。
「複道」とは、二階建ての渡り廊下。それが空中に架け渡されているようすを、雨が上がりでもないのになんと虹が出た、と大袈裟に驚いて見せている。虹という壮麗な美の出現を導くために、「霽」という漢字を使っているのだ。
「霽」が用いられた例として、さらには「光風霽月」という四字熟語を挙げることもできる。これは、もともとは11世紀の文人、
人は、雨が降った後だからこそ、いっそう、すがすがしさを感じるものだ。「光風霽月」は、その感覚を下敷きにした四字熟語だ。ここでも、「霽」の持つ変化のニュアンスが、よく生かされているといえるだろう。
「霽」は、「晴」に比べて、雨から晴れへという変化を強調する。変化とは、ドラマを生むものだ。かくして「霽」は、活躍の場を「晴」に譲りつつも、ちょっとしたドラマを秘めた漢字として、使われ続けていったのである。
では、そんな「霽」という漢字は、日本人にはどのように受け止められたのだろうか。
残念ながら、現在のぼくたちにとっては、「霽」はあまり身近な漢字ではない。しかし、近代日本の文学者たちの文章を読むと、「霽」に出会うことも少なくはない。
その使われ方はというと、「雨が上がる」という基本に忠実なものがほとんどだ。しかし、「霽」の秘めるドラマという観点からすると、たとえば、次のような例が印象に残る。
「
尾崎紅葉『金色夜叉』の主人公、間貫一のセリフである。恋人、お宮を金銭ずくで奪われた貫一は、復讐の鬼と化し、高利貸しへと転身してお宮の夫を追い詰める。「金銭があったら何とでも恨が霽らされようか」とは、この作品のコンセプトそのものを明示する、あまりにもドラマチックなセリフではあるまいか。
中国語でも、「霽」を「怒りを鎮める」という意味で使う例はある。しかし、近代の日本文学でときどき見かける、「恨みを霽らす」「無念を霽らす」「疑いを霽らす」「心を霽らす」といった「霽」の用法は、ひょっとすると日本語独自のものかもしれない。
古代中国の占い師たちは、天候の変化に興味を抱き、「霽」という漢字を生み出した。近代日本の文学者たちの関心は人の心の変化にあって、やはり「霽」を使ってそのことを表現する。2000年以上の時を経て、両者は、1本の糸で結ばれているのである。