第5話 音と光と衝撃と――カミナリの漢字

 

 遠くの空で、ゴロゴロと鳴る音がする。暗い雲が急に重たくのしかかってきて、今にも雨が降り出しそうだ。
 近づくカミナリの気配を感じながら、「かみなり」とは語源的には「神鳴り」だ、という話を思い出す。雲の上で神様が太鼓を打ち鳴らしている。――昔の日本人は、そんなふうに考えたのだろう。つまり、日本人にとって「かみなり」の本体は〝音〟にあったわけだ。
 では、漢字の世界では、どうだろうか。

 漢字「雷」は、大昔には「靁」と書いたという。この「畾」の形は、たとえば「土塁」の「塁」の旧字体「壘」にも見ることができるし、「累積」の「累」も、古くは「纍」と書くことがあったらしい。そこで、「畾」は、「ライ」とか「ルイ」とかいう発音を表す記号である、と考えられている。
 と同時に、「土塁」とは土を積み上げたものだし、「累積」とは何かが積み重なることをいう。ここから、「畾」には〝積み重ねる〟という意味があるのではないかと推測される。そう言われてみれば、「畾」という形そのものが、何かがゴロゴロと積み重なっているようすに見えてくるではないか!
 そのゴロゴロがカミナリの音につながって「靁」という漢字が生まれ、それが省略されて「雷」となった、という説もあるのだが、ちょっとできすぎのような気もする。我々にとっては、積み重なっているものもカミナリも確かにゴロゴロだ。しかし、漢字を生み出した人々もこの2つを同じ擬態語で捉えていた、と考えていいものかどうか。
 それはともかく、漢字「雷」が表すものの中心に〝音〟があるのは、その使われ方から考えても、間違いないことと思われる。
 たとえば、「万雷の拍手」は、カミナリの音に着目した比喩表現。「雷名が轟く」とえば、名声が鳴り響いていること。うるさい蚊の羽音を指す「蚊雷(ぶんらい)」という、ちょっとオーバーな表現もある。
 「付和雷同」という四字熟語の形で知られる「雷同」も、本来は、カミナリの音にあらゆるものが反応することだという。そこから、声の大きな人についつい同調してしまうことを「雷同」というようになったらしいのである。
 もちろん、「雷光」という熟語もないわけではない。しかし、漢字「雷」を用いた表現には〝音〟にまつわるものが多い。漢字を生み出した人々にとっても、「雷」の本体は〝音〟にあったようである。

 ゴロゴロという響きは、次第に力強さを増してくる。やがて、ポツポツと大粒の雨が落ちる音が、耳を打ち始めた。
 窓から外を眺めてみると、時折、ピカッと稲光が閃くのが見える。そのたびに、重く垂れ込めた雨雲のひだのひとつひとつが、青白く不気味に照らし出される。
 「かみなりが光った」
 そう口にしてみても、特段、日本語としておかしな感じはしない。ということは、日本語「かみなり」は〝光〟を表すこともあるわけだ。だが、〝カミナリの光〟を特に指し示したいときには、「稲光」とか「稲妻」といった日本語を用いる方が正確だ。
 では、それに相当するような漢字はないのだろうか?

 〝光〟に焦点を当ててカミナリを表す漢字はというと、それは「電」である。
 「電光石火」とは、すばやい行動のたとえ。「電撃的なニュース」といえば、突然の衝撃的なニュースのこと。つまり、「電」には〝瞬間的〟というイメージがあるのだ。耳をつんざく大きな〝音〟を表す「雷」に対して、「電」は、一瞬のうちに強烈な輝きを放つ〝光〟を指しているのである。
 ただ、ぼくたちにとって、「電」といえば「電気」だろう。しかし、漢字「電」のそのような使い方は、けっして古いものではない。
 1752年、アメリカのベンジャミン・フランクリンが、カミナリの日に凧揚げをするという命がけの実験をして、カミナリは電気であることを証明した。英語electricityに相当することばとして「電気」を用いるようになったのは、この科学的事実が西洋から伝わって以降のことである。
 ここでちょっと気になるのは、どうして「電」が選ばれたのか、ということだ。
 雲の中に蓄えられたelectricityというエネルギーが、鋭い〝光〟として現れると「稲光」となり、漢字では「電」と書き表す。だから、electricityの訳語として、「電」のもとになるエネルギーという意味で「電気」が採用されたわけだ。
 しかし、同じエネルギーが大きな〝音〟として現れると「かみなり」となり、漢字で書き表すと「雷」となる。とすれば、electricityのことを、「雷」のもとという意味で「雷気」と呼んでもよかったのではないか? カミナリの本体は〝音〟つまり「雷」だと考えられていたのだから、その方がよほどふさわしい訳語だったのではなかろうか?
 〝光〟の方が、エネルギーを指し示すにはふさわしいと思われたのだろうか。
 そう考えてもみるのだが、電灯が発明される以前には、電気と光とは、ぼくたちが感じているほどに強く結び付いていたわけではなかろう。静電気がバチバチと火花を上げるようすを、18世紀の中国の人がそんなにひんぱんに目にすることはあったとも思えない。
 あるいは、「雷」は〝音〟のイメージが強すぎて、エネルギーという抽象的なものを表すには適さないと考えられたのだろうか。
 どういう事情があったのかは、ぼくにはわからない。ただ、「電気」ということばの誕生によって、漢字「電」の世界が格段に広くなったことは、確かである。それまでは「稲光」を表すだけで、ある意味では「雷」の付属物にすぎなかった漢字が、近代文明を象徴する漢字へと、大躍進を遂げたのだ。
 漢字にも、1文字ごとに異なる運命というものがある。「雷」と「電」の運命は、ヨーロッパ文明との出会いによって、大きく分かれていったのである。

 ポツポツと降り始めた雨は、あっという間に、土砂降りになった。その叩き付けるような雨音をバックに、稲光が一閃する。その瞬間、部屋の中までもが真っ白に染め上げられてしまう。
 かと思ったら、間髪をいれずにカミナリが襲いかかってきた。その轟音はといえば、もう、ゴロゴロなんて生やさしいものではない。バキバキッともメリメリッともつかないすさまじい響きに、心の底から震え上がってしまう。
 どこか近くに、カミナリが落ちたのだ。

 「震」という漢字がある。「震動」とか「震える」のように使って、ものが細かく揺れ動くことを意味する漢字である。
 そんな意味の漢字に、どうして「雨かんむり」が付いているのか?
 それは、この漢字が本来は〝カミナリが落ちる〟ことを意味していたかららしい。
 紀元前1世紀の初めに司馬遷が著した歴史書、『史記』の「(いん)本紀」という巻に、次のような話がある。
 殷王朝の後期というから、紀元前12世紀ごろのこと。武乙(ぶいつ)という暴君がいた。彼は「天神」と名づけた人形を作り、それを相手にバクチをし(もちろん実際には臣下がお相手をするのだが)、勝ったと言っては天神を侮辱していた。また、血を入れた革袋を高いところに吊し、これを弓で射ては、「天を仕留めた」とはしゃいでいた。
 こんな天をも怖れぬ所業が、許されるはずはない。
「武乙、河渭(かい)の間に猟す。暴雷(ぼうらい)あり。武乙、震死(しんし)す」
 「河渭」とは、黄河とその支流、渭水のこと。2つの川が流れるあたりに狩りに出たときに、突然、雷が落ち、武乙はそれに当たって死んだのである。
 また、中国古代の()という国の歴史を記した歴史書、『春秋』の紀元前645年の条には、次のような記事がある。
夷伯(いはく)(びょう)(しん)す」
 「夷伯」とは、魯国の名家、(てん)氏の祖先。その霊をまつる建物に雷が落ちたのは、当時、展氏の一家には人には知られぬ悪行があったからだと、『春秋』の注釈書の一つ、『春秋左氏伝(さしでん)』では述べている。
 これらを見ると、「震」が〝カミナリが落ちる〟という意味で使われていたことが、よくわかる。ただ、『史記』や『春秋』には、「地震」という熟語も何度も登場する。当時から、「震」は現在と同じ意味でも用いられていたのだ。カミナリのもたらす衝撃から、意味が転化していったものなのだろう。
 〝カミナリが落ちる〟ことを意味する「震」の用例としては、次のような印象深い例もある。5世紀に書かれた有名人のエピソード集、『世説新語(せせつしんご)』の「術解(じゅつかい)」という編に載っている話である。
 主人公は、郭璞(かくはく)(276~324)という異能の学者。彼は、さまざまな古典に通じていただけではなく、「(えき)」の占術を操る占い師でもあった。
 時の権力者、王導(おうどう)(276~339)が、その郭璞に占いをさせたことがあった。占いを終えた郭璞は、沈痛な面持ちで、王導さまには「震」の厄があります、と言う。それを取り除く方法はないものか、と尋ねられた郭璞は、次のように答えた。
「西の方に数里行ったところに、柏の木があります。それを、王導さまの背丈と同じ長さに切り取って、いつもの寝床に置いておいてください」
 王導は、郭璞の言う通りにした。すると……
 「数日中、果たして柏に(しん)し、粉砕す」
 落雷によって粉々になった柏の木を前にして、人々は、郭璞の才能に称賛を惜しまなかったという。

 カミナリは、襲いかかってきたときと同じように、足早に立ち去っていく。あれほどに荒れ狂った音と光は、うそのように消えた。残っているのは、落雷の衝撃だけだ。
 見上げると、洗い出されたような青々とした空が、広がっている。