戦争画リターンズ
──藤田嗣治とアッツ島の花々
平山周吉・著
名画「アッツ島玉砕」が啓示する昭和史。凄絶な玉砕シーンに、藤田嗣治が丹念に描き込んだ「死者の傍らに咲いている花」はいったい何を語りかけるのか? 英霊たちが眠る、厳寒のアッツ島には終戦七十年の秘密が冷凍保存されている。
【目次】
- 第一章 敬礼される絵画「アッツ島玉砕」
- 第一回 会田誠のもう一つの戦争画シリーズ「裸でごめんなさい」
- 第二回 松本竣介の「貴方達は、続けて戦争画を描かれたらいい」
- 第三回 「アッツ島玉砕」にムラムラした会田誠と、反戦を感じとった
野見山暁治
- 第四回 上野の山で『アッツ島玉砕』を見た山田風太郎青年
- 第五回 藤田嗣治、陸軍高官に「アッツ島玉砕」を御説明申し上げる
- 第六回 「アッツ島玉砕」、みちのくの老いたる見物人と出会う
- 第七回 戦争画、天覧の光栄に浴す
- 第八回 昭和天皇は「アッツ島玉砕」を御覧になったか?
- 第九回 新藤兼人は「アッツ島玉砕」の兵隊の目に恐怖した
- 第十回 昭和二十年、「アッツ島玉砕」の行方
- 第十一回 「日本を捨てたのではない、捨てられたのだ」と藤田は言った
- 第十二回 さようならニッポン、バカヤロー藤田
- 第二章 「アッツ島玉砕」を凝視する
- 第十三回 「死にくたばる」草森紳一に導かれて、「アッツ島玉砕」に
再会する
- 第十四回 「アッツ島玉砕」に描かれた「死者の傍に咲いて居る花」
- 第十五回 鶴田知也の小説『アッツ島』が発売延期となる
- 第十六回 上演されなかった川口松太郎の芝居「アッツ玉砕」
- 第十七回 少国民は「アッツ島玉砕」のトリビアな細部を見ていた
- 第十八回 草森紳一の父・草森義経はアッツ島へ派遣されるはずだった
- 第十九回 オカッパ頭の世界大戦から「河童頭新体制」へ
——フジタの戦争
- 第三章 オカッパを切った藤田嗣治の坊主頭時代
- 第二十回 もう一枚の「哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘」の死屍累々
- 第二十一回 注文の多い軍人たち、注文に応じる坊主頭の藤田画伯
- 第二十二回 藤田嗣治が装幀したノモンハン戦車撲滅戦戦記『ノロ
高地』
- 第二十三回 五十四歳の藤田嗣治、宙返りの戦闘機に乗り込む
- 第二十四回 井伏鱒二がシンガポールで見た、兵隊思いの藤田嗣治
- 第二十五回 「私の右の腕は陛下に捧げ奉ったもの」と藤田は書いた
- 第二十六回 「アッツ島玉砕」はコレクター平野政吉に贈られる
はずだった?
- 第四章 英霊の島アッツへ
- 第二十七回 会田誠の「父」三島由紀夫が詠んだアッツ島玉砕の和歌
- 第二十八回 会田誠の「祖父」小林秀雄が語った「アッツ島に現れた
思想」
- 第二十九回 太宰治は、アッツ島の小説の題を「玉砕」から「散華」に
改めた
- 第三十回 太宰治の弟子・三田循司の父は、アッツ島墓参で息子の遺体
を見つけたくないと思った
- 第三十一回 山崎大佐の遺児・保之は、アッツ島で
「血が凍ったような真ッ黒なユリの花」を手折った
- 第三十二回 阿川弘之は、昭和四十四年にアッツ島取材を無鉄砲
にも敢行した
- 第三十三回 ドナルド・キーン少佐は、初陣でアッツ島に上陸し、
日本兵の死体を見た
- 第三十四回 瀕死の山崎保代大佐は、もがきながら銃口をこめかみに
あてた
- 第三十五回 アッツ島の山崎保代大佐に送られた桜の押花
- 第五章 花々の島アッツ
- 第三十六回 東条英機のあわてぶり「半月以内にアッツの飛行場を
完成せよ」
- 第三十七回 昭和天皇、アッツ島の戦況についての御軫念と怒り
- 第三十八回 アッツ島で花を撮影していた陸軍報道班員・杉山吉良
- 第三十九回 視界が四分の一になっても、杉山吉良はアッツ島の
花に執着した
- 第四十回 ハッチスン女史はアッツ島滞在三時間で、六十九種の植物
を採集した
- 第四十一回 北大の舘脇操は、昭和四年に植物採集でアッツ島を訪れ
ていた
- 第四十二回 ヴェールを脱いだ「平和を愛する、科学者天皇」
- 第四十三回 キスカ島の植物標本を献上した峯木十一郎司令官
- 第四十四回 「天皇の島」ペリリュー島への慰霊
- 第六章 戦争画が還ってくる日
- 第四十五回 高倉健が山崎大佐を演じていたならば
- 第四十六回 火野葦平が感動した万年一等兵の戦場写真
- 第四十七回 岡本太郎の怒り爆発——フジタへの憤りと軽蔑
- 第四十八回 「ゲルニカ」のピカソへ宛てた、藤田嗣治の手紙
- あとがき
掲載・関連情報他
【プロフィール】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
昭和27(1952)年、東京生まれ。慶応大学文学部国文科卒業。出版社で雑誌、書籍の編集に従事した。現在、雑文家。「新潮45」「週刊ポスト」で書評を執筆中。著書に『昭和天皇「よもの海」の謎』(新潮選書)がある。